隠者を尋ねて
飯能高校の屋張黄味香です。
現代文の時間のはじめに、生徒のみなさんと漢詩を朗読しています。昔の人が愛唱した日本語の言語文化に親しんでもらう時間を作るためです。みなさんに好んでもらっているか、毎回やや不安になりながら読んでいます。古典の時間ではないので、現代語訳や意味の解説はほとんどしません。そのため、繰り返し口ずさんで「意自ずから通ず」という段階を目指しているのですが、これは望蜀でしょう。
以前、唐・賈島(かとう)の「隠者を尋ねて遇はず」を読みました。
とりとめもなく取り上げた詩だったのですが、私自身、暗記して口ずさんでいくうちに好きになってしまいました(笑)。
隠者を尋ねて遇はず 賈島
松下にて童子に問へば 「言ふ師は薬を採りに去けり
只だ此の山中に在らん 雲深くして処を知らず」と
(現代語訳)
松の木の下で、仕えの少年に聞いてみたところ、「師匠は薬を採りにおでかけになりました。この山の中におられることは間違いないでしょうが、なにしろ雲が深くたちこめておりますで、どこにいらっしゃるやらわかりません」と。
「隠者」(隠士)というのは、俗世間を離れて静かに暮らす人です。その人に「遇えない」という設定が、かえって隠者へのゆかしさを表しています。似たように私たちも、欲しいものを求めて手に入らないと、その物へのあこがれや神秘性は増していきますね。「童子」は、隠者の身の回りの世話をする少年です。
そして、「薬を採る」という、耳慣れない言葉も出てきました。これは、薬を採取して自分で服用したり、他の人々を救済したりするために行われました。薬それ自体は、不老長寿を志すという使用目的があります。
この詩には、童子との問答が表されています。作者が問い、童子が答える。今回の現代語訳では、「師匠は薬を採りにおでかけになりました。この山の中におられることは間違いないでしょうが、なにしろ雲が深くたちこめておりますで、どこにいらっしゃるやらわかりません」と、二句目から四句目までを童子の答えたセリフとして解釈しました。しかし、どこまでが童子のセリフなのかについては、中国・日本を含めて説が分かれるのです。
以下、松浦友久編『続校注 唐詩解釈辞典〔付〕歴代詩』(大修館書店、2001年)によって三通りの説を紹介します。
この記事で紹介した現代語訳の解釈は、Aの説です。歴代では、中国では章燮(しょうしょう)『唐詩三百首注疏(ちゅうそ)』、日本では前野直彬『唐詩選』(文庫本で読めます)などがこの説により解釈しているようです。
唐詩が盛んに読まれた江戸時代では、Bの説を採用するものが多いです。釈大典『唐詩解頤(かいい)』や服部南郭『唐詩選国字解』、戸崎允明『箋註(せんちゅう)唐詩選』などがそうです。現代日本の訳注も、多くはこの説を採用しているようです。
Cの説を採るものとしては、江戸時代の東夢亭(ひがしむてい)『唐詩正声箋註』などがあります。
C説のアイデアは私の中にありませんでした。C説はつまり、一句ごとにセリフの主が交代で入れ替わる、という解釈です。この説の解釈にしたがって、現代語訳をしてみましょう。
隠者を尋ねて遇はず 賈島
松下にて童子に問へば 「言ふ師は薬を採りに去けり」
「只だ此の山中に在らん」「雲深くして処を知らず」
(現代語訳)
松の木の下で仕えの少年に聞いてみたところ、「師匠は薬を採りにおでかけになりました」という。かさねて「それではいずれ、この山中にいるだろうな」と言うと、「雲が深くたちこめておりますで、どこにいらっしゃるやらわかりません」との答え。(C説)
この詩には発言した内容を引用する動詞「曰ハク」(いわく)が用いられていませんから、一つ一つの句の発言者が誰であるかは明示されていません。はっきり示されているのは、第2句「言ふ師は薬を採りに去けり」が童子のセリフであることのみです。したがって、AからCの全ての説において第2句が童子のセリフであることを認めています。
逆に言えば、それ以降の第3句、第4句については、読者の想像力に委ねられるところが大きいのです。誰が発言した内容か、パターンをいくつか考えてみることができます。五言絶句は近体詩のなかで最も字数が少なく、一見すると味気ないようにも思われます。しかし言葉が少ない分、私たち読者が言葉を補ったり、説明し足りない部分を自由に想像して解釈する余地が生まれることもまた確かです。そして実際に、何百年と読み継がれてきた作品として様々な解釈が施されてきました。私たちも、その一員になってよいのです。
隠者を尋ねて遇わず 賈島、でした。