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小津安二郎の『戸田家の兄妹』を愉快な心で観る

飯能高校のMr.屋張黄味香(やはりきみか)です。

小津安二郎の『戸田家の兄妹』(1941年)を観ました。日本が太平洋戦争に突入しようとする時局のさなか公開された映画です。DVDや配信サービス等で小津安二郎を賞玩できる環境に感謝ですね。私は映画に関する専門知識があるわけでもないし、年間に大量のフィルムを消費しているわけでもありません。ただ、昔の人が撮った映画を鑑賞し、少しだけ学ぶべき点があればいいなと思っています。

戸田家の父の死に際して

「うん。今日は酒が旨かった。なあ、母さん。人間なんてものは年をとればとったで、また楽しみがあるもんだなあ。」

『戸田家の兄妹』

戸田家の父は、酒の旨さが至福だと言わんばかりに妻に話かけ、差し出された新聞を愉快に受け取り、読みます。しかし父はこのあと容体が急変して亡くなります。いったい、こんな愉快な死に方があるでしょうか。どのように生きていれば、このような楽しい死に方ができるのでしょうか。
「よりよく生きる」という常套句を、しばしば耳にします。自己研鑽や快楽の享受は「よりよい生き方」にとって大いに資するものです。しかし一方で、「より良い死に方」に思いを馳せることはあまりないと思います。死というのは生前に決して体験できるものではないし、誰しも死の訪れを首を長くして待っているわけではありません。当たり前ですが、生前において死というのは、いつでも「他人が死ぬこと」の体験として知覚されます。葬儀に参列したときや、墓前に手を合わせているときがそうです。そういった場合にだけ、死をいわば自分の体験として「漸近」させることができます。今回『戸田家の兄妹』で父の死が描かれているのを見たときもそうです。この父親は、旨そうに酒を飲み、卒然と旅立ってしまうという「死に方」を示してくれました。

家族のなかの言葉遣い

「さあ、お母さん、食べましょう。おい、節子、食べよう。いやあ、これで良くなりますよ。これできっと良くなりますよ。節子、泣くな。さあ、たくさん食べてください。おかわりはたくさんあるんだから。さあ、一ついただくかな。」

『戸田家の兄妹』

父の一周忌にあわせて天津から帰国した昌二郎は、母と節子が兄妹の家へ居候していたところ厄介者扱いされ、ついに別荘に住むことになったことを知り、兄弟たちの不人情を厳しく難じます。兄妹を会食の席から追っ払った(ここがカッコいいのです)昌二郎は、母と節子のもとに食膳をつき合わせ、さあ食事のつづきをしようと声をかけます。
セリフのなかで、母親に話しているときは敬語を使っており、節子に話しているときはそうでないことがわかります。思えば、小津安二郎の映画に出てくる男性(未成年も含めて)は、昌二郎と同じく母親に対して敬語で話しています。今ではあまり見かけない家庭内の風景だと思いますが、当時の言葉の使い方、家庭内での振る舞い方がうかがえます。そして、昌二郎(佐分利信)があんまりカッコいいものですから、ついマネしたくなってしまいます。(笑)

結婚相手を「決める」ということ

「ねえどう?お好き?」
「うん、そうでもない」
「お嫌い?」
「うん、そうでもない」
「じゃあ、どっち?」
「うん、まあ、お前にまかせるよ。いいようにしてくれ。まさかそう怖い女でもあるまい」
「まあ。じゃあいいのね?決めたわよ?決まりましたわよ?」

『戸田家の兄妹』

昌二郎と節子の会話。唐突に、節子は昌二郎に対して結婚の話を持ち掛けます。この会話の直後、結婚相手として決まった時子が偶然家を訪ねてきます。しかし節子が昌二郎に時子と合わせようと部屋を覗くと、昌二郎はドロンしていました(笑)。それにしても、結婚相手というのはこんなにもあっさり決まってしまうものなのですね。
私はこの昌二郎を最高に粋な男だと思います。好きかと聞かれても嫌いかと聞かれても曖昧にはぐらかし、お前の好きにしてくれとだけ言って返事に代える。ここに映像が載せられたら良かったのですが、この時の昌二郎は少し照れくさがっているような笑みを浮かべているのです。こんなカッコいい大人になれたらいいな。

いやぁ、愉快だ。

【参考】『戸田家の兄妹』あらすじ(松竹HP)