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鎌倉のゲストハウスと「楓橋夜泊」の掛け軸

飯能高校のキサラギセワシです。

ちょうど一年前、鎌倉へ一人旅行に出た。それまでには中学校の校外学習(遠足)と、高校2年生の夏休みに訪れたことはあったが、それ以来はもう長い間行ったことがなかった。天気もよく、冬の空気が乾いた良く晴れた日だった。寺院や神社などの旧跡を巡ることが好きで、鎌倉や京都、奈良などの場所は何回でも繰り返し旅行に行きたいと思っている。
その日は円覚寺、建長寺、鶴岡八幡宮などを参拝した。前の二つの禅寺は初めて訪れたが、円覚寺の居士林のひっそりとした雰囲気や、建長寺の三門の堂々たる作りは今でもよく覚えている。
泊りがけで旅行しようと思い立ったため、当日の朝にインターネットの宿泊予約サイトで宿をおさえた。宿泊したのは、由比ガ浜から徒歩の範囲にあるゲストハウスだった。

私は、一人で旅行するのにゲストハウスをよく利用する。ゲストハウスは旅館やホテルとちがって簡易的な宿泊所であり、一般的には素泊まりが基本で、ドミトリー(相部屋)であることも多い。その点費用が安く抑えられ、長期滞在の外国人旅行客が多く利用している。またほとんどの場合、同じゲストハウスに泊まっている宿泊客どうしの共用スペースがある。
この、同じ宿に泊まっている人どうしが共用スペースで交流するというのが、私が旅先の宿にゲストハウスを選ぶ理由の一つである。その日は、私のほかにイギリス出身の女性と、韓国出身の男性二人(兄弟)が宿泊していた。宿のオーナーは本当に親切な人で、共用スペースで一緒に会話をしてくれた。そこは、コタツを囲むように宿泊客が腰を下ろして文字通り「団欒」する場所だった。

イギリス出身の女性と二人になると、話は文芸のことに及んだ。その女性は、大学、大学院と、詩の創作について学んでいたそうである。私と向かい合いながら何か書き物をしている(日本語か、フランス語だったと思う)ので、「何を書いているの?」と尋ねたところ、詩を書いているということで、自身の経緯についてを教えてもらったのだ。イギリスの大学というのは、日本と違って通常3年で卒業するらしい。大学院も日本では修士課程だと2年が普通だが、イギリスでは1年という場合もあるという。日本と海外とでは小学校から高校までの制度が異なるというのは知っていたが、大学の制度もちがうとは少し驚いた。
その日私は太宰治の『斜陽』を行きの電車内で読んでいたから、宿の中でも続きを読んでいた。今度は向こうから「何を読んでいるの?」と聞かれたので太宰の斜陽という本だと答えると、その人も読んだことがあるということだった。太宰のcrazyなところが良いということで意見が一致し、話がはずんだ。他にも村上春樹や谷川俊太郎の作品を英語版の本で読んだことがあるという話を聞かせてもらった。

団欒スペースにはさまざまなものが立てかけてあったり、壁に取り付けられていたりした。話している最中、一つの掛け軸が目に留まった。おや、私の知っている漢詩が書きつけてあるぞ、というふうに。掛け軸に書いてある漢詩は、唐代詩人・張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」だった。

楓橋夜泊 張繼
月落烏啼霜滿天
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船

月落ち 烏啼いて 霜 天に満つ
江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る

『全唐詩』巻242

「楓橋夜泊」は日本でも古くから親しまれてきた。これは、作者の張継が船旅の途中、もの思いのためにうまく寝付けない想いを詠んだ詩である。この漢詩が書かれた掛け軸が目に入ったとき、そのイギリスの女性に東洋の詩を紹介したくなった。その掛け軸を指さして、実はあれも詩なんですと教えた。すると、当然あれはどういうことが書いてあるのかと聞かれた。日本語の話者であれば「月落ち烏啼いて…」と繰り返し読めば意自ずから通ずといったところだが、そうでない場合はちがう。私はそこで少ない英語の知識を使って英訳を試みたが、「The moon falls…(カラスってなんて言うんだ..)...Black birds …(啼くってなんて言うの)...」結局うまく伝えられなかった。Google翻訳なども使ってみたが、「江楓漁火」などの言葉をどうかみ砕いてよいか見当もつかなかった。

時は移ってつい先日、沢口剛雄『唐宋詩の鑑賞』(福村出版・1969年)という本に「楓橋夜泊」の英語訳が載っているのを見つけた。やや長いが、以下に全訳を示す。

Anchored By Night
BY CHANG CHI
The failing of the moonlight the cawing crow awakes,
And glitters all the sky above with shining frosty flakes.
The maples on the river bank , the lamps  the fishers bear,
Cast gloomy shadows through the night that vex our rest with care.
From yonder Chill Hill Temple , by Soochow’s ancient town.
The sudden booming of the bell , the midnight calling down,
Comes with a clang that startles our ship-borne comrades’ ears
Imagination’s pulses beat quick with shadowy fears.

月の光は落ちて衰え, 烏が啼くので目を覚ます。
空には霜の細片が白々と輝く。
川岸の柳の樹々や, 漁夫のいさりの火が,
夜をこめてただよい , 旅を息(やすら)う人の心に愁の影をおとす。
蘇州の古都のかたわらのかの寒山寺から,
鐘の音が突然響いて夜半を知らす。
その鐘の音は船に泊まっている人の耳に響いてくる。
感傷の影が想像の思いのなかにつきあげてくる。

『唐宋詩の鑑賞』p. 43

これがあのとき言えなかった漢詩の英訳かと思うと、まだまだ勉強が足らぬと自覚する。上の英訳は8行にわたって綴られていて、文末を見ると「awakes flakes」「bear care」「town down」「ears fears」と韻を踏んでいる。「江楓漁火」は「The maples on the river bank , the lamps  the fishers bear」と訳されている。

この英訳を見つけたとき、一年前に鎌倉のゲストハウスで交わした会話を思い出し、記事に書き起こそうと思ったのである。あの日の翌日、オーナーに聞いてみると、掛け軸は以前ゲストハウスに泊まった中国出身の人から譲り受けたものらしい。
あの夜、同じコタツに座って話した人たちは元気にしているだろうか。たぶん、もう二度とは会えないだろう。そう思うとなんだか切ないけれど、一度しか会えなかったからこそ、深く思い出として記憶に刻まれているはずである。